大家さん。

今朝、ムスメを送った後、久々に大家さんと長々ゆんたく。
ムスメが幼く、まだ、今の仕事に就く前は、もっと時間にゆとりもあり、
大家さんが、途中で、黒砂糖や、さんぴん茶や、もずくを持ってきてくださり、
ついには、ごはんまでご馳走に、という感じで(笑)
こんな風によんなぁ~喋っていたんだった!と思い出した。
それほど縁側に腰掛けて・・・というのはほんとに久しぶり。
(喋りすぎて気が付けばヨガレッスンに間に合わない時間になっちゃったけど、
それもまた良し(笑)
最近、こういった、時間が止まるようなゆったりした感覚で、
過ごすことがなかったから、とても有難いひとときであった。
初めて大家さんのお家にお邪魔したのは、5年前の慰霊の日。
当時中学生だった大家さん、お父様とお兄様を戦争で亡くされ、
やんばるに疎開して、毎日家族の食料を調達しに、
山の中や、読谷の米軍の中にもぐりこんだり、
手榴弾で魚を獲ったりというサバイバル生活を送っていた話を伺った。
ふたつの家族で逃げていたらしく、
もうひとつの家族の長女が流れ弾に当たって亡くなっているのを、
大家さんが見つけ、抱きかかえて家まで連れ帰ったら、
母親は、その長女を抱き上げることもなく、顔を見ることもなく、
下の子を連れて逃げていったそう。
「下の子の命を守るために、母は、亡き我が子を抱き上げることもできない、
そこまで、切羽詰った、人間の限度を越えた状態だったんです。」
と大家さんは涙ながらに語ってくださった。
これまで、恥ずかしながら沖縄で行われた地上戦のことをあまり知らなかったわたしは、
大家さんの大きな本棚から沖縄の歴史や戦争の本をたくさん読ませていただいた。
本の内容に何度もページを伏せたり、涙を流したりするたびに、
大家さんは、ここにはすべては書いていない。
もっと悲惨な状況だったと教えてくださった。
当時3歳だったムスメは、すべてを理解することは出来なかったと思うけど、
やがて頻繁に戦争のことを口に出すようになり、
戦争関連のテレビや本にもとても興味を持つようになり、
戦争の惨さ、平和の有難さについて、いつも一緒に話すようになった。
わたしも、こうやって直に大家さんの口から戦争の話を聞くことにより、
戦争に対する許せない思いと共に、
戦争が、いつも、とても傍に在るものとなった。
そして、この日常に、深く感謝することができるようになった。
そんな大家さん、仕事の関係で本土にて長い間生活し、
いろんな人にお世話になった経験から、
「人間には境はない。我々と本土との違いは、言葉と味噌汁だけ。」と笑う。
本来なら、憎むべきかも知れない本土からきたわたしたちを、
本当の家族のように思ってくださり、
ムスメにいたっては、本当の孫のように可愛がってくださり、
そんな大家さんのやさしさに触れるたび、
いつも、胸がいっぱいになる。
時々大家さんと喋っていると、
亡き父と話しているような安心感に包まれる。
こんなにも離れた場所に、
沖縄の父が居てくれることを嬉しく、有難く、
大家さんが無事生き抜いてくださったこと、
その存在の大きさに、この出会いに、ここでの暮らしに、
感謝の気持ちを、いっぱいに。
改めて胸に深く刻んだ、
沖縄に来て5度目の6月23日慰霊の日であった。

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