朝5時40分からETVで放送されている(きっと再放送)
北山修 最後の授業を楽しみに見ています。
フォーククルセダーズの元メンバーで、作詞をしながらもメディアから退き、
精神科医、九州大学教授に転じた彼が、
40年ぶりにブラウン管に登場。
最後の授業の模様+作家・重松清さんとの対談の2部構成で番組は進んでいきます。
マスコミにより、自分自身ではなくなった自分がひとり歩きする恐怖と戦った体験談、
マスコミュニケーションとパーソナルコミュニケーションの違い、
自分を客観視することのできる道具(カメラ、ビデオなど)が溢れる世の中において、
自分の素顔を知る難しさなど、
わかりやすく、鋭く、ユーモアたっぷりに北山さんが説いてくれます。
・旅の途中から本当の自分がわかる。
・向かい合って本当の自分同士で対談することは不可能。
(肩を並べる方が人は心を開きやすいとか・・・)
興味深いひとことをねぼけまなこでメモするのが朝の日課となりました。
(字がぐちゃぐちゃであまり読めませんが(苦笑)
明日が正真正銘最後の授業。
楽しみです。
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早起きが楽しみな理由
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コートニーマーティン作陶展
昨日仕事の帰り、腰のコンディションも悪く、よろよろしていたときに、
ハッ!と目に止まり(ほぼひと目惚れ状態で)鑑賞してきました。
母性を感じさせるようなあたたかみのある色使いや、ほっこりとした質感。
作品の放つあたたかさにより穏やかな雰囲気に包まれ、
そこに居るだけでイッキに癒されました。
コートニーさん、お見かけしましたが、
シンガーのリサローブのような雰囲気のキュートなお方。
和みの時、ものすごくしあわせでした。ありがとう。

コート二ーマーティン作陶展
リウボウ7階 美術サロン7月26日まで。
Courtney Martin
腰、その後マッサージを受け、
三重城から牧志まで歩いたことも手伝ってよくなってきました。
今日はヨガも本格再開。
久々にみっちりハーフプライマリーができた。(嬉しくて、つい頑張りすぎた感も(笑)
今週末の忙しさに頑張ってついていってね。>腰 -

ターコイズブルー。
古代エジプト 神秘のミイラ展を観てきた。
古代エジプトでは、死する人はもう一度復活すると考えられ、
復活への願い=ミイラ創造となったそう。
ビックリしたのは、ミイラそのものよりも、そこに終結した人々のパワー。
信じられないような細かな文字や、絵を棺などに施し、
ミイラ制作にも膨大な時間とエネルギーを費やし、
その人力が色あせることなく、
2500年の時を超えこうして現存していることの凄さ。
日本のお城や歴史的建造物を見てもいつもそう感じるけど、
今テクノロジーやお金を駆使しても、
この人力にはかなわない、と。
昔の人の信仰の深さ、その人々を支配するものの絶対的権力は、
人の潜在的な能力や労力をフル稼働させていたのかも。
現代人はその何分の一も使っていないんじゃないかな。
魂が、死をもってどうなるかはわからないけど、
祈りや願いそこに込められた思いというのは、
決して無くなることはないのだと。
棺のなかに収められていたお守りや、
また装飾品などのターコイズブルーの美しさが忘れられない。
その色はずっと時の流れを見守ってきたのだから。
その美しいブルーを何かひとつ家に持ち帰りたくなった。

購入したこの絵はアカシアの木にとまる鳥たち。
人生の縮図をあらわしているらしい。
赤ちゃん、子ども、大人は東を向き、
老いた鳥は西を向いているのだそう。
エジプト展を見終えてお茶を飲んだベンチから見上げた空もキレイな青。
こうやって自分ではなかなか行こう!という気は起こらないところにも、
ムスメがガンガン連れていってくれる。
新たな世界の広がりは嬉しくも頼もしい。
ムスメをエジプト好きにさせたクレオパトラに感謝せねば、ね。(笑) -
愛する画家ゴッホ
先日ゴッホ最後の70日ひまわりの画家はあの日殺されたのか?
という番組を観ました。
耳切り事件、自殺説を覆す新たな真実・・・
あらゆる観点からゴッホという人、その死の謎を検証する番組でした。
関連の書物もたくさん出ていて、読みたい!本当のことが知りたい!と
一瞬アマゾンを覗いたんだけど、
この番組によるとゴッホはすべてを墓場まで持っていったという事実があり、
我々が今頃そこを掘り起こすべきなのか?どうなのか?
ということを考えると踏み留まってしまいました。(読みたい気持ちもやっぱりありますが・・・)
そこで、やはり画家が最も饒舌になれるのはキャンバスの上だろう・・・と、
わたしが過去に観た2005年のゴッホ展の日記を探してみました。
それまで絵画鑑賞が大好きだけど絵を観る術は持ち合わせていないなぁ自分・・・
と思っていたのに、不思議とこの時ばかりはゴッホがそこに居て、
絵と対話できたような気持ちになれました。
そのときのブログから抜粋・・・
↓
昨日ゴッホ展を見てきた。
大好きな画家なのでこれまでも何度も彼の作品を観てきたが、
今回はじめて、彼の心の世界に踏み入ることができたような気がした。
それまでは世間一般に言われる、
暗く悲しい人というイメージが先入観としてつきまとっていたが、
彼の痛いくらいの悲しみやせつなさと同じくらいに、
描くことに対する無邪気な喜びや情熱、
楽しくほとばしるような気持ちがビンビン伝わってきた。
実は豪快で破天荒で、
かなり楽しい一面を持つ方だったのではないだろうかと、
彼の実像に思いを巡らせた。
きっと喜びも哀しみも人一倍、感じ、考え、力の限り生きていたのだろう。
人は彼は不幸な人生を送ったと語るが、
絵の向こう側から聞こえてくる声はそうではなかった。少なくとも私にはそう聞こえた。

最後に
彼が亡くなった1890年7月29日に発見された手紙は、次のように締めくくられている。
「ともあれ、僕は、僕自身の作品に対して人生を賭け、
そのために僕の理性は半ば壊れてしまった―それもよい―…」
~フィンセント・ヴァン・ゴッホ
***
やっぱり本を読むよりももう一度彼の作品と深く触れ合ってみたいです。
今年から来年開催されるゴッホ展にどうしても行きたい!!!
調べたら東京 九州 2箇所だけみたいですね。ううう、どっちでもいいからいきたし・・・(祈) -

夢心地・・・
大好きな蓮の花を観に東南植物楽園に行って参りました。
蓮の中を抜ける小道にテンション上がりまくりです↑↑
満開を少し過ぎた頃だったのですが、
それでも曇り空の中美しすぎる光景に思わずうっとり・・・

つぶらな蕾も大好き。

途中雨が降ってきたのですが、
葉っぱの上の雨雫の何と美しいこと!





どこを取ってもホレボレ!
蓮の後はそのお仲間の睡蓮も。


とっても可憐☆
花、蕾、実、茎、葉っぱ、どれをとっても完璧な美しさ☆
それに根っこ(レンコン)も美味しい蓮はホントに偉い!
(やっぱり最後は食い気か(笑)
ともあれ夢のような時間をありがとう。
これからもずっと憧れ続けます。 -

ラッキーマン
感動しました。
ひとりの俳優の伝記、ではなく、
闘病記ではなく、
そこにはごくパーソナルにひとりの人間の生きる様が描かれています。誰もが抱える自分の弱さ、そしてそれと戦う葛藤。
でも信じられないほどの富と名声を手に入れた俳優が、
その引き換えのように負ってしまった不治の病を抱えてとなれば、
想像を絶するものであった筈。
波乱の運命の中で自らを奮い立たせ、
現実を見つめ受け入れていくことはどれほどの辛さを伴ったことか。
人間であれ、家庭人であれ、と生きようとする彼でなければ、
この試練を乗り越えることは出来なかったと思う。
読んだあとの爽快感は、
彼が大きな試練を乗り越えた証。できない不自由なことに目を向けずに、
自由にできることに目をむけ、
目一杯やってみようというという気持ちになりました。今この本に出会えたことに感謝。

ラッキーマン/マイケルJフォックス -

Alice in wonderland
最近は使っていなかった部分を多いに使った。
子どもの頃にはその部分はたくさん働いていたような気がする。今も頭の中でよーく空想(妄想(笑)を繰り広げているけど、
昔のわたしはこの比じゃないくらい、
ずーっと現実とは遠い世界に生きてきた(ちょっと危なめ(笑)今でも記憶にしっかりあるのは、
友達と遊んでいた場面よりも、
ひとりで蛙や虫や草花と遊んだり、雲を眺めているときに、
どんどんイマジネーションの世界に入り込んでいたこと。
そのポケットから出るときはちょっぴり寂しくなったり、
そんな何とも言えない気持ちまでも鮮明に。空想は無限大。
久しぶりに子どもの頃の自分に会えたような感覚。
ありがとう。




